走り続けて50周年…特急いなほの歴史 秋田 (19/10/01 19:00)
かつて秋田と首都圏を結び、いまも人々の生活の足として運行しているあの特急列車が10月1日で50周年を迎えた。
県民の夢や希望を乗せて走り続けた50年の歴史、それに列車の写真を長年撮り続けている秋田市の男性を取材した。
10月1日で運行開始から50周年を迎えるのは羽越線の特急いなほ。
JR羽越線を走る「特急いなほ」は1969年に運行が始まり、現在は新潟と山形の酒田間それに新潟と秋田の間を結んでいる。
運行が始まった当時のいなほは軽油を燃料とする気動車いわゆるディーゼルカーで東京・上野駅と秋田駅の間を走行していた。
このいなほに魅せられ46年間写真を撮り続けているのが秋田市に住む佐藤和博さん。
佐藤さんは「生まれが現在の由利本荘市の矢島、今の由利高原鉄道の終点で生まれたから最寄り駅に東京行きの特急ができるということでうれしかった。考えてみるとあれから50年なんだなぁ」と思いをはせた。
1972年、羽越線の電化に伴い、いなほも気動車から電車へ。2代目いなほのカラーもアイボリーと赤で、鉄道ファンから「国鉄色」と呼ばれている。JR移行前後はさまざまなカラーのいなほも登場した。
佐藤さんは魅力について聞かれると「やっぱり沿線の風景の美しさ。山は鳥海山、海は日本海そういうものを背景に愛すべきいなほが撮れることが魅力」と答えた。
しかし、50年の歴史の中には痛ましい出来事もあった。
2005年12月25日、いなほが山形県庄内町で脱線・横転し県関係者4人を含む5人が死亡した。
佐藤さんは「信じがたかったというか信じたくなかった。鉄道こそ安全確実な乗り物と思っていたからまさか強風で脱線転覆なんて考えられなかった…」と事故を振り返った。
運転が再開したのは年が明けた1月19日。
国の調査結果では瞬間風速40メートルの局地的な突風が原因とされた。
事故のあとJRは事前に突風を予測するシステムを導入し、安全な運行に努めている。
そして、8年後の2013年には、いなほが車両をリニューアル。イメージカラーは日本海に沈む夕日と稲穂で日本海や海岸線に咲くハマナスを表現した車両も登場した。
50年を迎えるいなほには利用客からも「本を読んだり外を眺めたりして過ごす。いいですよね、海辺をずっと走るから」「長野出身で地元は海がない。新潟から秋田の景色が新鮮で心が躍るというか地元と違う景色で楽しかった」「これからもしょっちゅう利用する」と思いが寄せられた。
佐藤さんにお気に入りの1枚を教えてもらった。
写真に写っていたのは国鉄時代から続く伝統のカラーをまとった2代目いなほだった。
佐藤さんは「ぜひあの列車に乗ってみたい」というコンセプトでこのカラーリングを国鉄が決めたそうでそれが何年経っても色あせずいなほで残っていた。それが我々にとってはうれしかった。やっぱりこの色でなきゃ!という感じ。素晴らしい景色の中で走るのが一番のいなほの魅力。今後とも追い続けていきたい」と話した。
運行開始から50年。
特急いなほは多くの人々の希望や夢を乗せてこれからも走り続ける。
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